2011年4月11日

2011.3.11

こわいことがたくさんおきた一カ月。

地震で起きる朝、
「こわいニュースが起きてませんように」と祈りながらつけるテレビ、
「よし、地下鉄だ」と意を決して電車に乗る通勤。
まわりの緊急地震速報にドキッとしたり、そのたび
かばんに忍ばせたお水とチョコと携帯の充電池を確認する日々。
「一時的」を願ったけれど、残念ながらこういう状況が予想以上に
長く続くのかも、と覚悟した一カ月間だった。

地震がおきて数日後、仙台の高校時代の同級生とようやく連絡がとれた。
「私たちは大丈夫」って短い返事だったけど、「大丈夫」の度合いは
東京と仙台ではずいぶん意味が違う。
後日詳しく聞けば、同級生は10日間も避難所暮らしだったし、
「自分たちのそばでたくさんの人が亡くなったけど、
私たちは生きているから大丈夫」ということだった。

野菜もお肉もお魚も、加えて電気まで東北から頂いていたけれど、
東北の人に向けて、私が東京からできることってあまりにも少ない。
あと半年もすれば、いつものキラキラした東京に戻るんだろう。
それでも、中学・高校と育ててもらった場所だから、
小さなことでも恩返ししないと、と思う今日この頃。